【チーム京都ML】政治家は、人間的に魅力があり、選挙を恐れている【TK004】
2024年12月22日
みなさま
林です。
衆議院が解散され、27日土曜日には総選挙という微妙な時期です。「選挙」とか政治家・・・というちょっと際どいことについて、考えていることをいくつか。
こういうテーマは、何をどう書いても、誤解や曲解されることが大いにあり得るのでリスクが大きいのですが、まあいいでしょう。ただ、選挙を面白いと思う人は相当の変わり者なので、読んでいただけないリスクも大きいでしょうね・・・涙
ちなみにワタシ、選挙の投開票の日は、いろんな人間ドラマに思いを馳せてわくわくして、いろんな選挙特番を見てます。大概のドラマや映画よりも遙かに面白い人間ドラマが見られると思ってます。ボクシングも大好きなのですが、現代で人間同士の本気の喧嘩が見られるのが、選挙です。そこでの人間関係を考えたり、これまでの経緯を考えるとマジで面白いのです(だいぶ変態ですね・・・)。
「選挙」とは何か?誰でも、イコール投票くらいに思うのではないでしょうか。一票に意味があるとか無いとか・・・。
選挙は、「殺し合いを目的としない戦争」みたいに思ってます。リンカーンの名言に、The ballot is stronger than the bullet.「票は弾丸より強い」というのがありますが、票=弾丸だと思えば、戦争とは結構似ています。文字通り、落選して自殺した議員はいくらでもいますし、選挙中に殺された政治家もいます。
選挙に対するつまらなさは、みなさん「投票する側」から考えていることから来ていると思います。それはそうでしょう。だれでも、普通の人なら、自分が立候補するとは考えもしていないからです。
でもそこで、「投票される側」から考えてみたらどうでしょうか?どうやったら当選できるのか?どうやったら多くの人に投票してもらえるのか?より正確に言うと、「現在の選挙制度のなかで、多くの人に自分の名前(政党名)を書いてもらうには、どうしたら良いのか?」です。
しかも、投票は誰でも一票です。カネも知力も学歴も、何も関係ない。金持ちも貧乏人も、ドクターも無学者も、ホームレスでも一票です。
で、自分がやりたい政策を実現しようと思えば、多数から支持されないといけないのが民主主義です。どこかの独裁にくらべれば、だいぶ回り道でゆっくりしていますが、これは人間は神では無いから・・・だと思ってます。どんなに勉強しても、情報を集めても、正しい判断ができるとは限らない。正しいように見えて間違っていたり、間違っているように見えて、正しかったりする。あるとき正しいように見えても、時間が経つと間違っていることもある。そういうなかでは、多数の支持を得る・・・というのは間違う可能性を少なくする方法の1つと言えます。
話が逸れました。
政治家は、誰もが、どうやったら選挙に当選するかを考えています。言い換えれば、選挙を死ぬほど恐れています。落選すればただの人ですから。「選挙目当て」という言葉がありますが、選挙目当てに行動させることが民主主義です。選挙を恐怖と思わせることが重要なのです。政治家全員に、選挙目当てで行動してもらわないと困るのです。(政党の力だけで当選する政治家は、選挙目当てでないが、そういうのは問題外です)。
我が国の首相の最大の権力は、「衆議院解散」権と言われます。良いかどうかはおいておいて、現在の制度では、首相が完全にひとりで(実際はもうひとり必要)、誰にも相談せずに、独断で衆議院を解散できることになっています。
衆議院議員全員を一瞬でクビにして、全員に選挙の洗礼を受けさせることができると考えると、どれほど大きい権力かが分かります。
ここでは衆議院議員総選挙を題材にします。(地方選挙はこれまた別の人間ドラマです。)。みなさん、政治家の立場で考えてみて下さい。
(以下、うろ覚えのところもありますので、間違いがあれば指摘して下さい)
我が国の選挙は、「政党」の存在が前提となっています。小選挙区と比例代表を前提とすると、まず、各政党の公認を得られるかが決定的に重要です。
公認されると、費用補填、人的支援、その他諸々が得られます。無所属の場合、NHKの政見放送や、配布できるチラシその他、選挙活動そのものが制約を受けます。政党と無所属でかなり差別している・・・と言って良いと思われます。とすると、各政党で、「公認」権限を持つ人がどれくらい重要かが分かると思います(いわゆる「幹事長」ですね)。生殺与奪の権を握っているといっても過言では無い。
さらに、公認されると、比例代表に重複立候補できます。で、特定の政党は厳密に当選順位を決めますが、その他の普通の政党は、候補者を同一順位にズラッと並べます。ます。この場合、「惜敗率」で決まります。惜敗率というのは、各選挙区で当選者の投票の何%を取ったか?という割合です。自分の選挙区で必死で頑張って、当選者と接戦を演じてかろうじて落選、という議員ほど惜敗率は高くなります。適当にやっていると惜敗率が低くなります。結果、重複議員であっても必死で選挙をやることになります。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けは無し」というのは、故野村監督の言葉ですが、選挙でも経営でもどんなときにも成り立つと思います。
ちなみに、選挙が弱い=選挙区で当選してない(比例復活)と言って良いと思います。
逆に言うと、何をしてもどうやっても、必ず選挙区で当選してくる人がいます。これは与党と野党問わずいます。当選回数ヒエラルキーというのがありますが、それよりも、選挙区当選の方が比例復活当選よりも発言権が強いのです。
田中角栄をはじめとして、どぶ板選挙は有名です。これを馬鹿にする人もいますが、では、人間はどうやったら確実に投票してくれるのでしょうか?どぶ板選挙を馬鹿にできない理由があります。
人間、何を訴えているか?よりも、信用できるか?とか、親しく話をしてくれるか?とか、極端であれば、「知り合いかどうか?」が重要だったりします。
これは、「営業」の話にも通じるのですが、単純接触回数が多い方が人間は親しみを感じます。何度も何度も握手をし、目を見て頼まれると、頼まれていない人よりも親近感を覚えます。数え切れないほど多くの人に何回も会って、直接握手をする・・・というのがどぶ板選挙であるのなら、心理学的なポイントを突いています。
「イヤその人が何を訴えているかが重要だ!」とか言う人は必ずいますが、本当にそうでしょうか?経営でも、上手くいかなければすぐに方針転換しますよね?政治でも同じです。ほとんどの政策は妥協できますし、変更可能です。当面棚上げにすることもできれば、立場が変われば言うことも変わります。
方針転換したかどうかが問題では無くて、経営は儲かったか(雇用を維持したか)が重要ですよね。政治でもほとんど同じです。どんなに良い政策を主張したところで、落選したら無意味です。それに、良い政策かどうかなんて誰にも分かりません。
どうやったら選挙に「強い」といわれるのか。逆説的ですが、選挙民に「あの人は強いなぁ」と思われると落選します。選挙区民に、「あ~この政治家は助けなくても良いなぁ」と思われると落選するのです。「助けてあげないといけない」とか、「この人を押し上げたい」とか、「とにかくあの人は信頼できる。」とか、「裏切らない」とか思われることが大切なのです。
具体例を出します。
今回の総選挙で引退を決めた、ある政治家、仮にNさんとします(実在します)。主義主張は置いといて、めちゃくちゃに選挙に強い。彼は、「無敗の男」と呼ばれ、連続当選15回にもなりますが、最初は無所属で当選しました。与党に所属しますが、その後、ゼネコン疑惑で逮捕され、実刑判決を受けて失職します。離党し、それ以降は無所属です。裁判中に二回総選挙がありましたが、いずれもダントツの差を付けて当選しました。
本会議でも発言せず、マスコミ嫌いでほとんど表には出て来ません。ですが、演説を聞いた人は、ココロを揺さぶられると言います。選挙は連戦連勝です。メディアにも出ない、街頭ポスターも貼らないのですが、不思議なくらいに選挙区で勝ち続けるのです。
いったい、なぜなんでしょうか?こういう政治家をみて、選挙区の人はバカだと思いますか?逮捕されているのに当選させ続けるなんて!とか怒る人もいるかもしれませんね。自分以外の人がバカだと思うのは、誰にでもある傾向です。行動経済学では、自分は平均よりも頭が良いと考える人が9割以上だというデータもあります。
もちろん、選挙区民はバカではありません。
忘れられがちなのですが、選挙区で連続当選するような人は、ほぼ例外なく人間的な魅力にあふれています。マスコミでどのように報道されていようが、関係ありません。話をすると惹きつけられるし、腰も低い。頭が良いとも思わせないし、義理人情は欠かさない。
先ほどの、Nさんも同じです。演説をすると1時間でも2時間でも滔々と話し、数字は全て頭に入っている。どんなときでもひとりで50CCのバイクで選挙区内を走り回り、冬でも手袋はしない。バイクはホンダのベンリィCD50、手袋をせず、必死で選挙民を周り、冷たい手で握手を繰り返します。これも、「必死さ」が伝わらなければ、投票してもらえません。
選挙で勝つには、誰かが「勝たせたい」と思わないといけないわけです。そういう人が多ければ多いほど良い。しかし、公選法の縛りがあるので、お金で人の心を振り向かせることができないのです。(公選法がどれほど厳しいか、型にはめられているか、ワタシも少し関わっていたので身にしみて分かっています。)選挙区内で香典ハガキを出すことすら禁止です。公示期間でなければ、選挙活動そのものができません。
金も払わずに自分のために働いてくれる人がどうやったら増えるのか?
たぶん、その要諦が分かれば、企業が商品・サービスを売ることにも通じるものがあると思います。
今回の総選挙は、特に面白いポイントがあります。
選挙は、怨念(笑)が入れば入るほど必死さを増す。今回の場合、公認権を振りかざして公認したりしなかったりされてる議員が多い。こういうのは、後に引きます。また、困ったときに助けてくれた政治家がいるのなら、恩を忘れないでしょう。政治の世界も、義理と人情ですから、困ったときに助けてくれた人忘れないです。選挙で当落線上にいる候補者は、本当に必死です。その必死さが選挙を面白い人間ドラマにしています。選挙区事情で同じ政党内で争うこともあります。こういうのも面白いのです。
かつて田中角栄は、自分と対立していた政治家が愛人と別れる手切金(100万円)に困って頼ってきたそうです。そのとき、無言で300万円を出し、100万は手切れ金、100万は迷惑をかけた人への慰謝料、残り100万は自分のために使えと言ったとか。自分の期待を遙かに超える対応をされたこの政治家は、角栄が困ったときには絶対に助けるでしょうね(といいながら、裏切りもあるのが政治なんですが)。
田中角栄の話はいくらでもあります。彼の人心掌握術は、とんでもなく優れたものでした。
若くして40代で大蔵大臣になったとき、高等小学校卒の彼は、居並ぶ大蔵官僚に対して最初の訓示を垂れました。
「私が田中角栄であります。・・・できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!」自由にやれ、責任は取ると言われて、心酔しない若手官僚はいなかったと言われています。
ちなみに、義理と人情、別に我が国だけのことじゃないです。ワタシが大好きな「スーツ」というアメリカの弁護士ドラマがあるのですが、この中に「貸し借り」が出て来ます。弁護士同士で違法すれすれの行動をして助けてもらった場合、相手が本当に困ったとき、「貸しを返せ」と言って相手を動かすシーンがやたらと出て来ます。まさに義理と人情。対立してても政治的主張が違っても関係ありません。
まあとにかく、誰が誰を支持しているかを考えたり、誰と誰がつながっているかとか、ドロドロしたところを見ると選挙は面白いのです。
あと、政治的主張が右か左かばかりを気にする方が多いように思います。でも、結局、政治的主張も大事かもしれませんが、人間生活に及ぼす影響はごくわずか。それよりも、人間性のほうが遙かに重要です。意見は合わないが、尊敬できる・・・というのが、政治家にもなり立つかな。
本当はワタシが今回着目している選挙区の話とかしたいのですが、政治的に偏っているように見えてもいけないので、このあたりで。
◆◆次回は、チーム京都の方向性みたいなものを書いてみたいですね。トヨタ自動車を題材にして。