チーム京都

【チーム京都ML】繁栄と衰退、成功と失敗【TK008】
2024年12月24日
みなさま  林です。  前回の投稿について、安倍さんから非常に興味深い御意見をいただきました。  御自身の経験を踏まえての魂からの言霊のような御意見、何度も読み返してしまいました。安倍さん、とても貴重な御意見、本当に感謝いたします。ありがとうございます。  この中には、自殺とか自死という「行動」に対する重要なトピックが含まれているように感じました。そこで、通常の返信だけでは勿体ないと思い、引用させていただくカタチで次の文章につなげたくなりました。  引用とはいえ、都合の良いところを切り取る形になってしまいます。みなさま、安倍さんの御投稿を読了いただいていることを前提に、以下続けさせていただきます。 > それは人のため、国の為、世界の為であっても自分の命を絶っては絶対にいけないということです。 > 理由は簡単で家族や友達、友人は喜ばないからです。 > 私は最初の自殺されたかたを見て最初責任感があって立派な方だと尊敬しました。正直自分もなんかあった場合は責任取って切腹する覚悟が必要と思いました。 > その数年後坊主土下座を見たのですがなぜか怒る気がせず、これはこれでありかと思ってしまいました。  いくつか大切な論点があると感じました。「命は最上のものか?」、「日本的な国民性と大陸の国民性」です。  前者は、「他者のために命を賭ける(=普通人よりも先に死ぬことが予定されている)職業がある」という話、後者は、「虜囚の辱めを受けても生き延びるか否か」という話につながります。この2つは非常に重要で興味深く、議論が尽きないところなのですが今回は長くなるので触れません(汗 > 日本人としては前者の方が人間的に素晴らしく究極、人はそうあるべきのような感がありますが、自殺は逃げ手段であり残った大事な人を幸せにすることはできません。 > もしそのようなことを考えている人がいるなら括り付けてでも止めるべきだと思います。  今回書きたいなと思ったのが、この点です。切り取らせていただきますと、(1)「日本人として」、(2)「括り付けても止めるべき」という二点です。 (残った大事な人を・・・については、第1回のエッセーで、東日本大震災で妻も子どもも両親も亡くして、自分一人が生き残った男性の話につながります) (1)「日本人として」・・・「繁栄(成功)をもたらす原因と、衰退(失敗)をもたらす原因は同じである」  個性は人によって違うのはモチロンですが、「国民性」というものがあるのなら、我が国には大きな特徴があります。  安倍さん仰っていただいたとおり、死ぬことは「責任をとる1つの手段」と考えられていることです。その結果なのか、自殺率は先進国の中ではずっとトップレベルです。自殺(予防)業界ではよく質問することなのですが、「自殺者数と殺人被害者数、交通事故死者数はどれが多いですか?」というのがあります。  ちょっとイメージしてみてください・・・・・・・・・・・・・答えは、自殺者数は、交通事故死者のおよそ8倍、殺人被害者数のおよそ30倍に上ります(殺人被害者数745名(2022)、交通事故死者数2,610名、自殺者数21,881名(2023))。  自殺率が高いのは、我が国の弱点であり、ダメなところだ|と断言したいところなのですが、責任感が強く、小さい仕事でも最後までやり遂げるという日本人の美点の裏返しとも考えられます。  われわれ日本人は、子どもの成績表でも「5」を褒めるのではなく、「2」が1つでもあったら叱る・・・とは良く言われる批判ですが、これは完璧さとか無謬性を追い求める文化が根強くあるからです。仕事でもそうですし、ものづくり全般でもそうですよね。100%の完成度を目指すのは当然であって、価格が低くてもその範囲内ではカンペキでなければならない。  みなさんそういうしごとをしていますし、それが当然だと考えています。「文章のなかに2,3個誤字脱字があってもいいよね」とか、「100個中5個くらいは不良品混じってても許して」とはなりません。「部品一個が100円以下なら、100個中10個まで不良品OK!」とかにはならないのです。  何が言いたいのかと言えば、冒頭に書いたとおりです。  繁栄と衰退(生存と死亡)は表裏一体ということです。言い換えれば、我が国が成し遂げてきた数々の業績、明治維新や日露戦争、戦後復興、高度成長などの偉大な業績をもたらした精神的・文化的要因こそが、自殺を助長し、高止まりさせているのではないかと言えるということです。  これは、ワタシが大好きな作家、塩野七生先生が「ローマ人の物語」や「海の都の物語」で書かれている言葉でもあります。「文明が繁栄する原因と滅亡する原因は同じ」と。  ワタシは、この言葉は文明だけで無く、人間にも当てはまるし、会社・企業にも当てはまると考えています。  成功者が晩年に没落したり、企業規模を拡大させた立志伝中の経営者が、晩年には会社を潰すなんてことは枚挙に暇がありません。  そういえば、C.クリステンセン「イノベーションのジレンマ」でも、「短期的には正しく見える既存顧客中心の施策が、長期的に見れば不都合な未来を招くことがある」ということが協調されていますね。短期的には繁栄しても長期的には滅亡する・・・といった感じでしょうか。  自殺予防対策に関わっていたとき、結局自殺は何をどうやっても、ゼロどころか、OECD平均くらいにもできないのでは・・・と痛感し絶句しましたね。  かつて、ギリシャは政府が経済破綻して失業者があふれ、倒産が続出して自殺率も上昇しましたが、それでも日本の3分の1程度でした。もしあんな経済破綻して倒産があふれて失業者が激増したら、日本なら自殺者は激増するでしょう。ではギリシャ人の方が良いのか?ギリシャ人になりたいか?といえば、日本人はゼッタイ無理だし、望むこともないと思います。 (2)「括り付けても止めるべき」・・・「行動を強制するか、促進するか」  自殺予防対策に関わる前、ワタシ自身も、「殴ってでも止めたらエエやん」とか、「薬物注射とかでなんとかならんの?」とかいろいろ思っていました。  これはですね、「人間はなぜ行動する(しない)か?」という話につながるのです。自殺に限らず、悩みや問題があったら、周りの人間としては相談してほしいですよね。困っているとか、悩んでいると「言ってくれたら」なにかできたのに・・・と誰しもが思います。でも、ゼッタイ止める、責め立てると分かっている人に、死にたいほどの悩みを相談するでしょうか?  よく相談を受ける人がいますが、それは「相談しやすそうな」オーラとか雰囲気を出しているから相談が舞い込むのです。  合理的に説得したら人間の行動が変わるのか?といえば、誰でも、飲み過ぎ食べ過ぎ吸い過ぎは健康に良くないとわかっていても、止められない・・・。  ところで、自殺の場合、もっとも自殺する可能性が高いと言われる人は誰でしょうか?  ・・・それは、「自殺未遂者」です。未遂に終わって救急車で病院に運ばれて手当てされて入院し、「もう大丈夫です」と本人が言ったのに、その後病院の窓から飛び降りと言う事例はたくさんあります。特に男性に多いのですが、いったん自殺を決意し実行に移した以上、それを遂行しないのは「失敗」と考えるのです。  自殺が未遂になり、命が助かったのに、もっと確実に死ぬ方法を探し求める人が多い・・・ということですね。  結局、強制とか説得によって行動を変えることはできない・・・という達観が自殺対策関係者には共通しています。  引きこもり対策とかでも同じで、部屋から引きずり出して働かせても、強制力がなくなれば元の木阿弥になりますし、労働の重要性を説得してもムダです。  問題は、「どうやったら行動を変えられるか?」ということに尽きる。「依存症」なんてまさに行動変容の問題です。  行動をどうするか?どう考えるか?というところをしみじみ考えるようになりましたね。「ナッジ」もそのひとつです。